水色の鈴

 ずっと昔、この海には双子の人魚がいた。
 ふたりはどこへ行くにもいっしょ。ふたりはお互いのことがとても好 きでならなかった。いつでも、決して離れることはない。しかしある時、 人魚の母の身勝手な都合で離れ離れになってしまった。それでもふたり には、相手を想う気持ちが変わらずにあったので、双子である証の水色 の鈴はずっと持っていた。

「ああ、あああ、待ってよお」
 鈴がキャンパス内の坂道を転げ落ちていく。鞄の外側のポケットに入 れておいたのがいけなかったのだろうか。「勝手にしやがれ」の受信メ ロディが鳴った。それで、携帯電話を取り出そうとした拍子に、鈴が落 ちた。
「よりによって下り坂で落とすなんて」と考える間もなく、唯は走り出 す。ものすごいスピードで転げ落ちていく水色の鈴を追いかける。目の 前に誰もいないのが不幸中の幸い。思いっきり走るものだから、だんだ ん足がもつれてくる。一瞬でも気を抜けば、唯自身が転げ落ちてしまい そう。あと一歩で捕まえることができるはずだ。もう少しで届くと考え、 手を伸ばしたその時、真正面に女性の顔が飛び込んできて、そして、そ の女性の上に覆いかぶさってしまった。
「す、すいません」
 はっと我に返り起き上がる。と同時に、彼女も身を起こした。
「転がり落ちてきた鈴を拾ったら、ちょうどあなたがぶつかってきたの。 これ、落としたの?」
 鍵も何も付いていない水色の鈴ひとつを、彼女は差し出した。
「あ、はい。ありがとうございます。何かお礼をしなきゃ。えっと、お 名前、教えて頂けますか?」
「2回生の赤松祥子と言います。そんなお礼なんていいから」
「本当に助かりました。私、2回生の青柳唯です。あの、怪我しません でしたか?」
「心配いらないわよ。じゃあね」
 彼女は坂を上って行った。そうか、同じ大学生だったのだ。新年度も 始まったばかりだから、どこかでまた会うかもしれない。とにかく、鈴 が戻ってきてホッとした。

   四ヶ月が経ったというのに、喫茶店でのアルバイトに唯はまだ慣れな い。先輩の檄は数え切れないぐらい飛んできた。
「何回同じこと言わせたら気が済むのよ」
「すみません」
 そんなときは、謝る以外のことばは不必要だ。
「いつまでも青柳さんにかまっていられないんだからね。高校生のバイ トの子もうすぐ就職だからやめるでしょ。そしたら新しい子、入ってく るんだから。あなたも先輩になるのよ。しっかりしなさい」
 火・木・日のアルバイト前の時間は憂鬱でならない。それでも音を上 げず続けていられるのは、ただ、週3回のうち2回はカッコいいチーフと 一緒になるからだ。
「青柳さん、調子はどう?」
 彼の唯を見る目は、他のバイトの子を見る目と違うと唯は思っている。 とても優しい特別な目で見つめてくれる。
「毎日楽しくやっていますよ」
「そうか。それは、よかった。これからも頑張りな」
 唯は、チーフにはとても美人な彼女がいると噂に聞いていた。だから 唯のことなど相手にされないだろうなと思っても、チーフのことを思う と幸せでたまらなかった。

 唯は学校ではいつもふたりきり。友達が彼女しかいないのである。一 つだけ彼女と違う講義のときがあるが、そのときはふたりともひとりぼっ ちだ。新たに友達を作ろうという気にならない。それは彼女も同じ。唯 とふたりでいれば、それで満たされているという。ふたりともあまり話 はしない。ぼそぼそと少しだけ話したらそれで足りる。あとはいっしょ にいればいい。
 祥子というと、いつも数人で行動している。その中でもリーダーのよ うに振舞っているように見えた。グループの中でも頭一つ分背が高いの で、少し目立っていた。そして、どちらかといえば頭がいい方なので、 きれいなノートを貸してあげたりして、みなに慕われている。
 前期最後のセミナーは、十五分前に終わった。しかし、板書するのが 遅いので教室に最後まで唯は残ってしまう。自分の他には誰もいないと 思っていたが、ふと背中の方に視線を感じた。振り返ると、どこかで見 た顔だ。誰だったのかなかなか思い出せずにいると、
「水色の鈴、まだ持ってるの?」
 そう言われて、ああ、思い出した。若葉生い茂る頃、坂道で落とした 鈴を拾ってくれた人だ。同じセミナーだったんだなあ、今の今まで気づ かなかった。唯はいつも一番前の席にぽつねんとひとりで座るので、分 からなくても不思議ではない。
「水色の鈴、まだ持ってるの?」
 彼女は繰り返した。
「……宝物だから」
「そうなんだ」
「あのときは、本当にありがとう」
「どういたしまして。あたし、唯が同じセミナーだってこと、すぐに気 づいたの。ものすごい血相で鈴を追いかけていたから、よっぽど大切な ものだったのかなと思って。それで、その鈴のことに興味を持って話を してみたかったんだけど、なかなか機会がなくて」
(機会がなかったんじゃなくて、仲間といるのに忙しかっただけでしょ) と思ったのは言わずに、
「いつもいる人たちはいいの?」
「みんなバイトだから。あたしは、今日は休み。それにセミナー、少し 早く終わったから時間あるのよ」
「そっか……」
 祥子と話をするのは、はじめてといってもいいぐらいなので、ちょっ と緊張する。そんな唯に気づいたのかは分からないが、
「水色の鈴、もう一回見せてくれる?」
「いいけど」
 祥子の手のひらに鈴をのせた。ゆっくりと転がして、じっくりと見て、
「きれいね、本当、きれいね」
「どうも」
「はい、ありがとう」
 彼女は、鈴を唯の手のひらに返した。それから何か聞かれるのかと思っ たけれど、「じゃあね」とだけ言って帰って行った。
 閉店間際ちらちら時計を見ながら、「あと少しあと少し頑張ろう」と 唯は自分に言い聞かせていた。
 カランコロンカラン。扉を開けたのは祥子だった。唯は祥子にどこで バイトしているかなんて話していなかったので、少し驚いた。オーダー を取ったのは唯ではなかったが、別の子がコーヒーを運ぼうとしたとき、 「知り合いだから、私行くね」と伝える。最も、こんなことは忙しい時 にはできない。
「いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ」
 新しいお客さんが来ないことと、今いるお客さんがオーダーを頼む素 振りを見せていないことを確認して、唯は続けて祥子に話しかけた。
「祥子、よくここがわかったのね」
「唯の友達に教えてもらったのよ」
「そうなんだ」
「ね、仕事、もうすぐ終わるよね。ちょっと話、聞いてほしいんだけど」
 わざわざバイト先に来てまでする話ってなんだろう、と思いながらも、了解する。
「わかった。早くに片付けるから、玄関のところで待ってて」
「ありがとう」

 更衣を済ませ玄関のところへ行くと、赤松祥子はすぐに話しかけてき た。
「いつからこの鈴、持ってるの?」
「三年前の梅雨時だったかな」
「そう、なんだ。唯、これを見てよ」
 祥子は唯の手を取って、全く同じ水色の鈴をのせた。手のひらにぽつ り雫が落ちる。天気予報は珍しく当たった。
「祥子。もしかして、それ、水色の花畑でミチコおばさんから譲り受け た?」
「そうよ。でも、どうして?」
「私も、同じだからよ。四六時中、小さな鈴の音が聞こえるでしょ」
「驚いたわ」
「ねえ。雨、降ってきたみたいじゃない? すぐそこの公園で雨宿りし ない?」
「そうね」
 小走りで5分程のイルカ公園へやってきた。ここは、二つ並んでいる ンチのところにだけ屋根がある。ブランコ・滑り台などのところには、 水たまりが数個ある。
 すると、どこからともなく涼やかな音色が流れてきた。唯は困ったこ とになったなと思う。それは、このメロディーはミチコおばさんと出会っ たときに流れていた曲だからだ。彼女がこの場に現れたら、多分怒られ る。同じ鈴を持っている人に逢ったら、「詳しいことをちゃんと聞きな さい」と言われていたのに全然聞くことができていないから。
「おい、こら」
 あーあ、やっぱりやってきた。暗闇の中から、スパンコールだらけの ドレスを着たミチコおばさんがやってきた。どうやら、祥子も気づいたらしい。
「あ、唯。あれって、ミチコおばさんじゃない?」
 祥子は、唯と逆さまで何だか嬉しそうだ。
「そう、みたいね」 
 ふて腐れている唯を見て、ミチコおばさんは迫る。
「祥子に、どこまで聞いたんだい?」
「まだ、あまり」
「どうせ、そんなことだろうかと思ったよ。祥子、話しておやり」
「あたし、この話、信じてないところあるんだからね。
 十七の夏に、母が亡くなった後、母の姉というミチコおばさんに連れ られて遠い町へ出かけたのよ。電車とバスを乗り継いで、聞いたことも ないような町へ行ったわ。どこへ行くとも告げられず、目的地に着くま で一言も話さずにいた。沈黙が苦しくなり何か他愛のないことでも話題 にしようと思ったけれど、そう思って彼女の顔を見たら何だか怒ってい るようだったので、やめたんだ。バスを降りて、それからもしばらく歩 いて」
 ミチコおばさんは、じっと祥子の顔を見ている。唯は、じっと祥子の 話を考えていた。
「へとへとになるぐらい歩いて、くたびれて立ち止まっていたわ。そう したら、『着いたよ』とミチコおばさんは目の前を指差したの。そこは 見渡す限りお花畑で。見たことのない水色の花ばかりが、一面に咲いて いたの」
 そう、それは吸い込まれるようにきれいだった。
「すてきな香りに誘われて、あたしは思わず寝転がってしまったの」
   そう、夢中になった唯は、あの時思わず走り回っていた。
「でも、本当はちがっていたみたいで。ミチコおばさんは、『この花に 惹かれる者は特殊な能力を持っていてね。だからこの町で生きていくこ とはできないのよ。へとへとになったのは歩き疲れたのではなくて、こ の強烈な香りが祥子自身のエネルギーと共鳴した。だから、くたびれた のよ』なんて言う」
「そんなことは聞かなかったわ」
 唯は、彼女の方を見た。ミチコおばさんはわざと目を逸らして宙を見 つめていた。
「あの時、ミチコおばさんはにやにや笑って、『あんたが、わたしと同 じ種族だと確かめることができた。この鈴をプレゼントしよう』と言っ たの。あたしの両手を取って、吸い込まれるようなきれいな水色の鈴を、 手のひらにのせたわ。そうだったよね、ミチコおばさん?」
 彼女は宙を見つめたまま軽く頷いて、こんなことを言った。
「あんたたちは双子なんだよ。今度の誕生日8月31日を迎えて20歳になっ たら、ふたりは二度と離れることはできない。ふたりはふたつの鈴を結 び付けなければならない」
「もし、そうしなかったらどうなるの?」
 唯が気になっていたことを、祥子は聞いた。
「周りに災いが起きるよ。水色の鈴はとても強烈なパワーを秘めている から、それを3年以上持ったままでいると、隠しきれなくなったパワーが 災いと引き起こすのよ」

   誕生日までの一週間、唯は悩み苦しんだ。自分たちさえよければいい と思うわけにはいかないものの、あまりに突然のことに動揺せざるを得 なかった。
 唯は、祥子と双子、ということがまず信じられなかった。
「祥子は、もしかして前から知ってたの? 私たちが双子だってこと」
 大学でセミナーが終わってから、祥子を引き止めて聞いた。
 セミナー以外でもいっしょの講義はあるはずだが、どこに座っているか わからないから、声のかけようがない。
「ミチコおばさんが教えてくれたの。『祥子の母は祥子が生まれたとき、 唯と名づけられた双子の妹を遠い親戚に預けた』ってこと」
 そんなことを言われても、信じられない。しかし、信じるより他なかっ た。
 まだ夢も恋も何にも叶っていないので、現世に未練はたっぷりある。 まだまだ20歳には可能性とやらはいくらでもあるはずだ。一生のうちに 一度だけでも、スキューバーダイビングをやってみたいと思っていたの に。
 だが、仕方ない。祥子の母は訳あって、唯と祥子を離れ離れにしてし まったのだ。今度は、唯と祥子がこの鈴の元にずっといっしょにいるこ とにしよう。そうすれば、きっと母も喜んでくれる。
 週末、唯は母に尋ねてみた。
「母さん、ちょっと話があるんだけど」
「なあに? 忙しいんだけどね」
 その通り、彼女は忙しく夕飯の仕度をしていた。しかし、今、どうし ても確かめておきたかった。普段はすれ違いばかりでなかなか母と話が できる時間がない。悪いな、と思いながらも、
「誕生日がきたら、教えてくれるはずだったの?」
「何のこと?」
 とぼけてるのか、動揺しているのか、わからない。
「私の本当の母はもういないってこと」
「祥子ちゃんから聞いたの?」
「そう」
「あと、2,3日したら告白しようと思ってたんだけどね。わたしから言 う方が遅くなってしまったのね」
「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「謝るばかりじゃわからないじゃない」
「ごめんね。仕方がなかったことなのよ。わたしたちはあなたを本当の 娘として育ててきたからね。ごめんね」
 そう言って、母はもうこっちを向かずリズミカルな音だけを立ててい た。
 唯は、自分の部屋で声も立てず泣き崩れた。誕生日がきたら教えてく れるはずだった、と言われても、今まで20年間嘘で固められてきた、な どと思ってしまうと、もう、涙が途切れることはなかった。

 八月三十一日。
 今夜も、唯の育て両親は揃ってテレビに夢中だ。二時間もののサスペ ンスドラマが好きで、どちらが早く犯人を当てられるか競っている。今 日は、母親の方が缶ビールを二つ多く空にしている。犯人につながると 思われるヒントを先に見つけるごとに、缶ビールを一つ飲むことができ るというルールだ。最大三缶までという制限付きで、おつまみは決まっ ておしゃぶり昆布。
 事のきっかけは今年の始め、家計を切り詰めるためと健康維持のため にビールを控えようと、母親が言い出した。しかし、ビールが大好きな 彼女は料理をしながら缶ビール二缶ぐらい軽く空ける。また、父親は仕 事の付き合いで遅くまでたくさん飲んできたりする。そうすると互いに 週に2日は必要な休肝日など取れなくなる。そこで、サスペンス好きと いう共通点を生かして、その時間いっしょに晩酌をすることにした。そ うすると、母親は料理中もウーロン茶で我慢し、父親はテレビを楽しみ に早く帰るようになった。
 難解な事件の時は二人とも押し黙ってしまい、結局どちらも推理がで きないということも時々ある。そんなときは両親とも近寄りがたいほど 機嫌がよくない。
 以前、
「唯もいっしょに観ようよ。片平なぎさと船越栄一郎は、やっぱりいい 味を出しているから。絶対面白い。観て損はないから。ね、ね」
 なんて言われたが、サスペンスには興味がないし、ましてビールをた くさん飲みたいとも思わない。それよりも、いつまでも仲の良い両親を 見ていて羨ましくなる。そして、唯はきっとそんな風にはなれないだろ うなと感じた。
「ちょっと、出かけてくる」
「気をつけて行ってくるのよ」
「朝には帰ってこいなあ」
 今日は、機嫌のいい日のようだ。いつもだったら小言のひとつやふた つ言われると思っていたけれど、わりと楽に出かけることができた。

   唯はイルカ公園へ着いた。すでに祥子は着ていた。ふたりとも黙りこ くったまま。覚悟を決めてやってきたのだ。
 しばらくして祥子が、尋ねる。
「もう、いい?」
 唯はこくりと頷いた。
 祥子が先にポケットから水色の鈴を取り出した。唯もそれに倣った。 ふたりは、ゆっくりと、ゆっくりと鈴と鈴を近づけて、そうして、くっ つけた。
 と同時に、祥子は頭を抱えてその場にうずくまってしまった。それか らあっという間に、まるで彼女の痛みがそのまま唯に移る。勢いよく大 きくなる鈴の音が、痛い。
 リンリンリンリン。リンリンリンリン。ギリ、ギリリン。ギリ、ギリ リン。ギギ、ギギギ。ギイイイイイイ。音は鳴り止まない。次第に胸の 痛みも感じる。リリリリ、リリリリ、リリリリ、リ。
 ふたりはそろって、別世界へ、飛ばされる。前世へ連れ戻されるとい うことだ。

 リ、イイイイ。リ、イイイイ。イ、イイイ。リン、リン、リン。リン、 リン、リン。リリリ。リリリ。リ、リ、リ。
 どのくらい眠っていたのだろうか。頭の奥のほうでかすかに鈴の音は 残っている。目を擦ると、腕が重だるい。何かがちがう。右手を開いて みると、きれいな水色をした鈴がゆっくりゆっくり沈んでいく。視界は ぼやけているものの、ここが海の中であることが、隣で揺れるもくずで わかった。沈んでいく鈴を目で追っていたら、ものすごいスピードで泳 いでいる女性がいた。素早く鈴を掴んで、唯のほうへ近づいてきた。
「唯、これは離しちゃいけないのよ」
 祥子だ。唯は、左手を力いっぱい握った。
「い、痛いよ。祥子」
「ここでは痛いぐらいがちょうどいいのよ。私の手、何があっても離し ちゃいけないからね」
 強引。逆らうことはできない。しかし、唯はひとりきりだと何もでき やしない。水の流れは速い。プールの滑り台を滑っているようだ。ザザ ザザザブーン。ブ、ブクブクブク。
「ほら、ぼーっとしていないでよ。腕をぴーんと広げて、足をしっかり 動かして」
 姉である祥子の方が、前世の記憶を取り戻すのが早かったらしい。身 体が素早く順応している。人魚としての泳ぎ方なんてすぐにはわからな いはずなのに。
 言われたとおりに、体を動かす唯。流れの速さに怯えるより、どんど ん前へ泳いでいる快感のほうが勝っている。残り続けているかすかな鈴 の音が、ずいぶんと心地よい。
 進んでも進んでも海から逃れることはできないだろう。真後ろで轟音 がしたので少し首を横に動かしてみると、唯と祥子と同じようなふたり 組みがたくさん猛スピードで泳いでいる。右手と左手を握って、それぞ れの左手右手にはおそらくきれいな水色の鈴を掴んでいるのだろう。 ちょっと油断をすれば、彼らに先を越されてしまう。かなり必死に手足 を動かす。そうしたら、
「ようやく、わかってきたのね。もっとスピードをあげるわよ」
 振り落とされそうだ。腕がちぎれそうになる。しかし、この鈴を握り しめている限り、この手が離れることはない。どんなに泳いでも疲れを 感じることはない。その代わりに、泳いだ分だけエネルギーが体に溜まっ ていくようだ。
 空からの明かりが少なくなってきた。だんだんスピードが落ちてくる。 唯の怒鳴り声が響く。
「力、抜かないで。もう少し、あともう少しだからがんばって」
   何があと少しなのだろう。そう思いながらも、手足を一生懸命動かす。 力加減がよくなかったのか、今まで感じたことがないぐらい腕がだるい。 が、同時にパーン、パーンと破裂音が響く。右手の鈴が零れ落ちる。左 手から、繋いでいた唯の右手が離れる。
「ああああ」
 体が急降下。そして再び、パーン、パーン。さっきより大きな破裂音。 祥子の方も同じように、右手から、繋いでいた唯の左手が離れて、左手 から鈴が零れ落ちる。
 リ、イイイイ。リ、イイイイ。イ、イイイ。リン、リン、リン。リン、 リン、リン。リリリ。リリリ。リ、リ、リ。
 ゆっくりと体が浮上する。右手の平の中に鈴が埋まっている。ずっと 握りしめていた痛みに耐えかねて指を大きく広げると、また流れにのっ て泳ぎだすことができた。右手の平に、相方とはぐれた左手の平がぴっ たりくっつく。片方しか繋がっていないので、アンバランス。ゆらゆら しながらも、しっかりと流れにのって泳ぎ続ける。
 祥子はどこへ行ったのだろう。
 唯はどこへ行くのだろう。

 空からの明かりが眩しくて目覚めた。唯と祥子は別々のところを泳ぎ ながらも、ふたり同じ場所へ戻って来ていた。というのも、さっきと同 じようにすぐ側に灯台が見えていた。
「私の声が聞こえるかしら? 祥子!」
 強風がやってきたため、大声を張り上げる。
「聞こえるよ、唯!」
「私にちょっと考えがあるんだけど」
「あたしも、いいこと思いついたのよ」
「だったら同時に言ってみるってのはどう?」
「いいわね」
 せえの、と合図をして、
「島へ行きましょう」
 ふたりは笑った。
 彼女たちはどこに島があるのか、この海がどこまで続いているのか、全 く知らない。知らないが何もない海にずっといるより、まだ見ぬ島を求め て泳ぎ続けることにした。